韓国の広島、ハプチョンへ行ってきます

奈織です。

 

明日より、韓国へ行きます。二度目の韓国。少し緊張します。

目的は、ハプチョン(陜川)へ行くことです。

ハプチョンは、「韓国のヒロシマ」とも言われているところです。

 

広島と長崎に原子爆弾が投下され、犠牲となったのは日本人だけではありません。およそ20の国や地域の人が広島・長崎で被爆したと言われています。

広島ではおよそ2万人の韓国・朝鮮人の方々が亡くなったそうです。生き残った方、つまり「被爆者」として生きることとなった人たちは、1万人~2万人と想定されています。

そのうち、日本に残った方もいれば、終戦朝鮮半島へ帰った方もおられます。

およそおよそと書いているのは、つまり、きちんと調査されていない&する術もないということです。戦争中混沌とした中で誰がどのくらいどうやってどこへ渡ってどうなったのか、わからないのです。原爆の犠牲者においては、広島市民の数でさえ、1万人の±があるほど、調べられないほど壊滅的だった。そんな中で国境を越えて生き延びた人たちがいることを、日本にいながら想像することは、私にはちょっと難しかったです。

 

けれど、広島で在韓被爆者の支援をしている方々との出会いや、在日コリアンとして被爆した方と出会う中で、その事実はだんだんと確かな実感を持って私の中に浸透してきました。

 

ハプチョンは、日本が朝鮮半島に侵略した後、朝鮮総督府が土地の整理を行った際に農地として指定されましたが、作物が多く取れる土地ではなく、貧困に苦しんだ人びとが多く日本に渡り、生き延びようとしたという歴史があります。そして終戦後、広島から帰った人びとの集まる場所となりました。

 

ハプチョンに限らず、被爆した後外国に渡った人びとは、その地で後遺症に苦しむことになります。韓国では今年に入り、韓国政府が在韓被爆者の実態を調査し始めるというニュースもありましたが、70年以上に渡り、在韓被爆者は、受けた被害の賠償を韓国政府や日本政府に求めてきました。日本人被爆者の被害に対する援護にはるかに遅れて、在韓被爆者の援護が始まるなど、様々な面で苦難を余儀なくされたことも事実です。

 

見えなくなってしまう事実を、見えないままにしておいてはいけない。

 

そういう思いで、被爆者の声をきこうと思い、フランス領ポリネシアの核実験による被爆者にも話しを聞くなどしてきました。今回もまた、歴史の中でメインストリームとして語られる存在ではない、けれど確かに存在している事実とその人びとに出会おうと思いました。そしていつもお世話になっている研究者の方に同行するかたちでハプチョンを訪れることとなりました。

 

直接その地を踏むこと、その地の人と出会い、言葉を交わすことは、お互いに知り合うための、何にも代えがたい方法です。

 

ピースボートで世界一周した際には、留学生として広島に来ていて被爆したブルネイの首相、シンガポールで日本軍が行った虐殺の被害者のお孫さん、スペインによるパナマの植民地支配によって傷ついた村のおばあちゃん、差別に苦しむロマ族、アウシュビッツに収容されていたユダヤ人のおじいさん、パレスチナからヨルダンに逃れてきて難民となったご家族など、日本にいては知ることもなかっただろう人びとに出逢いました。

出逢うことは、お互いを知ること。そんなことを学びました。

 

今回の旅が、どんな出会いとなるのか、まだわかりませんが、

見聞きしたことを、伝えるんだという使命を背負ったつもりで、行ってきたいと思います。

 

せっかくブログがあるので、発信の場として活用しましょうという実験的な試みですが、どうぞお付き合いください。