記憶を街にのこせたら vol.2 ~中西巌さんの歩いた道のりをたどる~
お久しぶりです
こんにちは。せとまゆです。
前回のなおちゃんの記録から随分と時間が空いてしまいましたが、中西さんの歩いた道のりを今度こそ二人で歩くぞという計画は、今年の6月に決行されました。
そして実際に歩いて改めて湧いた疑問を、中西さんに聞いてみました。これも6月。
その時に感じたことを、改めて書き起こしてみようと思います。
街を歩くだけで自然に学べることがある
6月12日、朝9時半。被服支廠跡を出発。
中西さんの証言によると、当日被服支廠で被爆したあと、一度御幸橋まで様子を見に行ったとのこと。グーグルマップで調べると、御幸橋までは徒歩20分ほどでした。
前回中西さんと被服支廠を訪れた時に教えてもらった、当時にぎやかだったという商店街を抜けて、御幸橋へ向かいます。
御幸橋にも、当時のことを記してある石板がありました。いろんな被爆者の方の証言の中に登場する「御幸橋」に実際に行ってみるのは初めてでした。そういえば、有名な「原爆投下当日の写真」でこの橋の様子を見たことがある、と石板を見て思い出します。
なおちゃんと二人で、橋の上に立ちながら、写真と今の橋を見比べながら、周りの建物を見回しながら、これはどんなアングルで、橋のこの部分は現存のものと形が似ていて・・・とあれやこれや話しました。
まだ中西さんの道のりを歩き始めて間も無くでしたが、小さく衝撃を受けました。
「ああ、広島の街は、少し意識して歩くだけでこんなに『当時』とつながる場所があるところだったんだ」
知っているようで、知ろうとしていなかったことがたぶんたくさんあると、思ったのです。
歩いてみることで、見えるもの・見えないもの
そこから、実際に中西さんが歩いたであろう道のりを、向洋の当時のご自宅まで歩いてゆきました。
歩きながら、当日の中西さんの話を思い出してみようとしますが、その言葉を思い出しても、実際の景色がとても想像できないことに改めて気がつきました。
ーー道の広さは、今と全然ちがうのだろうか。
ーー1日、飲まず食わずだったのだろうか、どのくらい喉が乾いたんだろうか
(6月だけど暑い日で、私たちはこまめな水分補給を心がけていたのですが、
されど6月で。炎天下の8月に、疲れ切ってここを歩く状態を想像しようとしてみたり)
ーー周りを同じように歩いている人たちはいたのだろうか。どのくらいいたのだろうか。
被爆証言を聞いて、ある部分の描写をもっと詳しく聞かねば、知りたい、と思ったことはあまりありませんでした。特に当日のことに関しては、話してくださる部分に耳を傾けることに精一杯だったことがほとんどで。
だけどその限られた言葉だけでは、ほとんど情景を思い浮かべきらないのだと、実際に自分の足で歩いてみて初めて気がつきました。
もう一度、この経験を踏まえて中西さんにお話を聞こう。向洋にたどり着いて一息つきながら、なおちゃんとそう決めたのでした。